佐野 晋さんを悼んで

JPCERT/CCの設立に大きな役割を果たし、1996年から2014年まで運営委員および理事を務めて頂いた佐野晋さんが、年が明けてまもなく亡なったという連絡を頂いた。療養中とは聞いていたものの、思いもよらない知らせに驚きと哀しみで言葉を失った。

社会人一年目、ろくすっぽわかりもしないUNIXシステムプログラミングの講師を突然やることになり困っていると、「これを読んで勉強しろ」とある資料を渡された。その表紙にあった佐野晋という名前が、多分佐野さんとの最初の出会いだ。

それからUNIXユーザ会の会合や、慶応から東工大に移った村井さんの研究室に週末一緒にたむろしたりして、いろんなことを教わった。少し先輩の佐野さんがくれる助言は、いつもクールで熱かった。JUNETWIDEプロジェクトを通じた活動の中で、佐野さんや僕は企業メンバーという立場で共通の問題意識を持つことが多かったと思う。その一つがセキュリティだった。

JPCERT/CCを立ち上げる頃は、やはり故人となった初代JPCERT/CC代表理事の山口英さんたちと共に毎週のように集まって議論し、神谷町で終電まで飲んだ。業務が回り始めてからは他の仕事が忙しくなったのかあまり関わらなくなったけど、独立して法人化するために役所や所属組織と面倒な交渉の場になったりすると登場してくれる頼れる兄貴だった。

様々な委員会に一緒に呼ばれることも多かった。会合が終わると一人でふっといなくなっちゃうような人なので無理やりついて行くと、新橋の店を何軒もはしごして連れ回された。どの店にも仲のいい常連客がいて、仕事で見せる厳しい表情とは違う佐野さんがいた。書類にハンコを押して貰いたいのにちっとも相手にしてくれなくて、仕方なく新橋で待ち伏せしたこともある。ちょっと面倒くさいところもあった。

JPRS副社長という要職にありながら、JPNICの理事として業務執行にも積極的に関与し、Internet Weekの運営委員長を長年務めるなど、国内インターネットの発展と普及に大きな功績を残された。本人に聞いたことはないけれど、多才な佐野さんには本当にやりたいことがもっと他にあったんじゃないかと思っている。それでも、おかれた状況の中で、自分がやるべきことを実行できる人だった。

佐野さん、今までありがとうございました。

これから天国で好きなことを思う存分やってください。

 

JPCERT/CC 専務理事 歌代 和正

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